もっぱらファッションの場で語られる 「脱オタク」
なぜ多くのオタクは、全身が 黒尽くめなのだろうか…? 持ち物もリュックやパソコン用 カバン、カメラバッグの利用など おしゃれとは程遠い… おかしなデジタル小物も装備 |
「脱オタク」 とは、要するに おたく、「アキバ系」 な 趣味 や生き方、そうした人たちがしがちなファッションや仕草、喋り方などをやめること、卒業して足を洗うことです。
ただし本当の 「おたく」、真性の 「おたく」 とは、定義にもよりますがほとんど性格そのもの、それまでの人生や生き方そのもの、その人の人格そのものなので、事はそう簡単ではありません。
通常、軽い意味で使われる 「脱オタク」 の場合には、「オタクっぽいファッション」(後述します) や 「オタクっぽい話し方や振る舞い」(無口・寡黙、もしくは一般人には理解不能な言葉を使い、喋り方はどこか甲高い声で早口) をやめましょう、所持 アイテム や行動を矯正して 一般人 っぽい見た目になりましょう…といった、外見のみに注目した対処法と、それを行うとの意味で使われるケースが多い言葉となっています。
こうした考え方や取り組みは、1980年代に 「おたく」 という言葉が作られ、それが負の記号、レッテルとして広まる中で、他人 (家族や恋人、同僚や友人) がオタクをオタクから卒業させたり、本人が 「このままオタクでいいのか」 と悩んで取り組むケースの2つがあり、単なる ネタ としての 「脱オタクファッション論」 から、本人の人生設計まで、幅広いものとなります。
おたくをやめるとは、どういうことか
スポーツや読書、映画好きな人がそれらをやめるのを、「脱スポーツマン」「脱読書家」「脱映画 ファン」 とは普通云いません。 一方で、ギャンブルやタバコや酒、浮気や女遊びなどから卒業すること、足を洗うことは、「脱○○」 という言葉が頻繁に使われます。 「脱オタク」 なのは、世間一般に 「あまり褒められた存在ではない」「ずっとやり続けて行くべき生き方ではない」 との、暗黙の了解がそこにはあるのでしょう。
どうしてそのような認識をされるのかと云えば、スポーツに対して アニメ や ゲーム が劣っているから…ではなく (そういう認識の人もいるでしょうが)、ほとんどのスポーツマンが、単なる趣味として通常の生活 (学業や仕事) と両立しているのに対し、「オタク」 は趣味への時間的、経済的な力の入れ方がしばしば尋常ではないからでしょう。
結婚 もしない、恋愛もしない、旅行もしない、よく分からないものばかり買っている…それらが、旧来の価値観から 「異質」 あるいは 「異常」 な存在、もはや 「趣味」 ではなくギャンブルや薬物に対するもののような 「依存症」「中毒」 の症状に見えてしまうのでしょう。 ここらは、実際に中毒そのものとしか呼べない状況になっている人もいて、いくらかやむを得ないところもあります。
1990年代のオタクバッシング
こうした 「脱オタ」 の考え方が生まれたのはかなり古く、最初は他ならぬオタク側の人間からの声だったようです。 東京・埼玉で発生した 「宮赴ホ幼女連続殺人事件」(M君事件/ 1988年〜) でのオタクバッシング報道と、それに伴うオタクは気持ち悪い、不気味だといった社会の風潮、学校での 「いじめ」 問題などもからみ、当時オタクとされていた人たちの結構切実な心情から生まれていたようです。
実際にオタクから完全に足を洗う、オタク的な文化から遠ざかる (趣味も生き方も変える) という人もいれば、「外見だけで判断されるので、外見だけは 普通に したい」 という、「脱オタク」 というよりは 「隠れオタク」 的な考え方も多かったものです。 そもそも当時のオタクという言葉には、後の時代からは考えられないほど悪いイメージがあり、「いい年をしてアニメやゲーム、マンガにハマっている」 というのはまだ前向きで表向きの建前で、実際は外部から見た時に 「要するに何が何だかわからない異常者、キモくて 根暗 な精神異常者」 のような扱いだったとすらいって良いでしょう。
その後 「オタク」 の世界は広がり、いわゆる 萌え や メイド喫茶、コスプレ や フィギュア が誰でも名前くらいは知っているほどの存在となると、「オタク」 を見る目もだいぶ変わりつつあります。 しかし依然として 「現実の女性に相手にされないからアニメの女性 キャラ やゲームに走る」「現実逃避している」 といった紋切り型・ステレオタイプな文脈は健在です (逆にこれらの偏見をオタクの側も 自虐的 に受け入れて、「緊張する女性との会話などしなくていいんだ」「友達を作る努力などしなくて良いのだ」 と、その立場に定住することで気が楽になったという面もありますが)。
2004年から2005年にかけ 「電車男」 がヒットし、その内容に 「オタク風のファッションを捨てて彼女にアタック」 という筋立てが含まれていたこともあり (それが物語の本筋ではないんですが…)、「脱オタ」 といえば 「オタクファッション卒業による改造法」 などが、これ以降、もっぱらマスコミ主導で広まることになります。
地雷アイテムを避けて 「おたく」 っぽく見えない工夫
「おたく」 の外見というと、真っ先に思い浮かぶイメージがあります。 小太り、もしくは痩せぎすで、長髪だったり身なりに気を使わない 雰囲気 (長髪は1980年代はオタクっぽさの象徴みたいなところがありましたが…その後ロン毛が流行って変わりましたね…)、さらにファッションはリュックやウェストポーチ、紙袋、バンダナ、ドライビンググローブ (指だし手袋)、ケミカルウォッシュのジーンズや派手なTシャツ、チェック柄のネルシャツ、ダンガリーシャツ、足元にハイテクシューズなどです。 全身のコーディネートで言えば、やたら黒色が好きな人が多い特徴もあります。
いずれも一般的に流行したこともあるのですが、「おたく」 と呼ばれる人たちがブームが去った後も着続けることにより、「遅れたファッションをしている」 といったイメージがついて回ることなります。 とりわけ前述したアイテムなどは、オタク 定番 アイテム、地雷アイテム とされ、「オタクチェック」 の重要な判断基準ともなっています。
正直なところ、オタクはオタクっぽいファッションを好んでやっている訳ではありませんし、オタク風ファッションの専門店がある訳でもないのですが (しかも一応、オタクの中でも流行廃りはあったりしますw)、全体としてみると共通した傾向が生まれ、時代を超えてイメージが似てくるのはちょっと面白いですね。 ちなみにスタジャンやダッフルコート、ダンガリーシャツなどは、1990年代は代表的なオタクファッションのひとつでしたが、その後流行が一巡したのか、また普通に街で見かけるファッションになったのは (逆にオタクはあまり着なくなっている)、興味深いです。
誤解を承知で大雑把に云えば、世間で流行したものが半周遅れでオタクのアイテムとなり、それがオタクの独特な風貌やコミュニケーション下手と一体化し、ダサいオタファッションと呼ばれるようになる、その後さらに半周経ってオタクがそれらに手を出さなくなると、一般人にとって 「ダサいオタクアイテム」 の穢れが消えて、また再びファッションとして復権する…それを時代ごと、アイテムごとに繰り返しているような感じでしょうか。
ちなみに 筆者 は、上記の 痛い とされるアイテムは、全て 装備 してました。 当たり前の話です。