「断じて終わコンではない!」… 「閉じコン」
「閉じコン」 とは、「閉じた コンテンツ」 のことです。
「人気のピークは過ぎており、終わってはいないが、徐々に衰退し、根強いコアな ファン のみの狭い範囲で生き残っているコンテンツ」「成長期を終え底を打って現状維持モードに入ったコンテンツ」 といった意味になります。 新規 のファンを獲得するための外向きに開かれた展開がされなくなり、それまでそのコンテンツを支えてきたごく少数の 古参ファン やマニアのための内向きのコンテンツになることを意味し、「タコツボ化」 あるいは先の展開が見えていて 詰んで いるとの意味の 「詰みコン」 と呼ぶこともあります。
アニメ や ゲーム といったコンテンツは、制作され公開されると数多くの新規ファンが付き、その後その新規ファンの一部が熱心なファンや 信者 に育っていきます。 一方で時間を経るごとに徐々に新規ファンの参入はなくなり、ファンの新陳代謝や世代交代もなくなり、また初期からの ガチ なファンも少しずつ減っていきます。 最終的にはごく一部・少数の熱心なファンやマニアだけが残り、その残った少数のファンだけのコンテンツとなります。
コンテンツとしての流動性を高めて新しいファンを獲得しなければいずれ先細りになるのは目に見えていますが、途中で新規ファン獲得のための新しい取り組みやテコ入れ企画、あるいはリニューアルといった内容の刷新を行うと、これまでそのコンテンツを支えてきた古参の熱心なファンが離れてしまう可能性があります。 また古参ファンを切り捨てて新しい取り組みやリニューアルを行ってそれが仮に成功したとしても、次から次へと新しいコンテンツが登場する時代の中にあって、多数の新規ファンを獲得できる可能性はかなり低いでしょう。 だったら既存作のリニューアルではなく、最初から別の新規作でやれば良いではないかとなってしまいます。
閉じコンは、こうしたコンテンツ制作側のジレンマや、ずっと残っているファンらのコンテンツに対する考え方の違い (後述します)、コンテンツの辿る結末の悲喜こもごもを含めた言葉ということになります。
人気とポテンシャルがある作品が故の閉じコン化
元々 「閉じコン」 という言葉は、「終わコン (オワコン)」(終わったコンテンツ、人気や 需要 がなくファンから見放されて寂れたコンテンツ) の派生語として使われるようになった言葉です。 対義語として 「始コン」(始まったコンテンツ) や 「永久コン」(永久に終わらないコンテンツ) などもあります。
閉じコンは、閉じる前の登場時に 覇権 を握るにせよ 爆死 したにせよ、外部から見るとその後の活動内容や実態が見えづらいものです (閉じているので当然ですが)。 その結果、他の不人気作品や文字通りのオワコンと十把一絡げに同じ扱いがされるケースが多発するため、「まだ一部のファンからは根強く支持されているし、終わってなどいない」「仮に人気がなくとも、自分はずっと好きだし愛している、オワコンではない」 との差別化として使われるようになっています。 そもそもライトなファン100人と熱狂的で一騎当千なファン10人なら、後者の方がより人気があるとする考え方 (ファンカロリー) だってあります。
閉じコンにせよオワコンにせよ、一時期は一世を風靡し、多くの人々に愛され、ファンだけでなく広く同じ ジャンル の人々の記憶に残る作品だからこそ、こうした分類や好意的にせよ批判的にせよ様々な論評がなされるのでしょう。 最初から話題にすらならずに消えるようなコンテンツには、閉じコンも何もありません。 まぁ内容や 質 によっては、マニアック作品とかカルト作品などと呼ばれて珍重されることもあるかもしれませんが。
コンテンツ延命を図るのか、それとも最期を看取るのか…ファンの考え方も様々
残ったファンの間の考え方も様々です。 閉じコン状態になっても残っている熱狂的なファンは、これまでのコンテンツの内容が好きで居心地が良いから残っているわけで、無理やりなテコ入れやリニューアルなどを望まない人も少なくありません。 一方で、「このままでは先細りでいずれ大好きなコンテンツが終わってしまう」 と現状に危機感を覚え、新規ファン獲得のためのテコ入れやリニューアルを望む人もいます。 このあたりの温度差は、時としてファン同士の軋轢や論争、バトル を招くこともあります。
この対立では、新規ファン獲得のためにコンテンツを変えるべきだと主張する外向きの人たちが、「このままでよい」「変に変えるな」 という現状維持を望む内向きなファンより合理的で前向きな考え方をしているように見えるかもしれません。 古参ファンを 老害 などと謗るファンもいます。 しかし一方で、どうせ上手く行くはずがないテコ入れやリニューアルがかえってコンテンツの寿命を縮めてしまう、最後の一撃になりかねないとの意見にも、過去の 「閉じコンからの脱出を狙った作品」 の失敗の数々を見ると一つの見識でしょう。 また無駄で迷走する延命を繰り返してコアなファンが離れ、あるいは 反転 や 砂かけ が多発してコンテンツに悪名を残し、その後の続編といった再出発を妨げる結果となっている作品も少なくありません。
様々なコンテンツがマルチ展開する中、「閉じているのはコンテンツ (IP) ではなく、あくまでコンテンツを原作とするアニメやゲームといった各々のプロダクトであって、プロダクトの終わりとコンテンツの終わりは区別して考えるべき」 というのは、一つの考え方でしょう。 このあたりは時代性とか、あるいは嫌な言葉ですがファンの民度なども絡み、本当にケースバイケースの話なので、どちらが正解でどちらが誤りかなどは、簡単には判断が下せないものでしょう。
ちなみに 筆者 の観測範囲では、さすがに作品名を具体的に挙げませんが、「無駄な延命をせずすっきりキレイな形で終わらせた方が、次のプロダクトにつながる」 というのは、長いスパンで見ると制作側もファンも幸せな形になるのかなという感じはします。 とはいえ、筆者も見捨てられない閉じコンをいくつも抱えているので、「そんな風に割り切れたらどんなに楽か」 という気分も強くあります。
なお閉じコンはオワコンよりはマシですが、コンテンツに対して 「人気がない」 という表現であり、一般的には批判や悪口・ディスり に類する言葉です (自分が好きだったり自称する 自ジャンル の文脈ではオワコン扱いされないための ポジティブ な意味ではありますが)。 他人が好きな作品を閉じコン呼ばわりするのは、なるべく避けた方が無難でしょう。