どう見ても美人なのにそれは無理あるやろ…「なんちゃってブス」
「なんちゃってブス」 あるいは 「なんちゃってブサイク」 とは、実際は ブス でもブサイクでもないのにそれを自称する人、もしくは創作物において物語の 設定 でブスやブサイク扱いされているだけで、実際は美人や イケメン に描かれている作品 (マンガ や アニメ の他、実写のドラマなど) の キャラ (やキャスト) のことです。 営業ブスとかビジネスブス・ブサイクと呼ぶこともあります。
もっぱら批判的文脈で使われる言葉であり、実際 「わたしブスだから」 と悩んでいても見た目が明らかに可愛ければ白々しくも感じられ、感情移入 も スポイル されてしまいがちでしょう。 とはいえ現実問題として、見苦しい容姿に描いたりそうした役者を起用するのは、人気商売ではビジネスにならない部分もありますし、大人の事情 を隠しつつ、概念的 な設定に過ぎないものになりがちな部分はあります。 脇役 や モブ ならともかく、主人公 のある種の宿命でもあります。
いくらつかず離れずのハラハラドキドキ感を味わう恋愛ものの コンテンツ であっても、かわいい女の子やイケメンに云い寄られてそれを断る異性というのは無理がありますし、かといってすんなり受入れてしまってはそれで話が終わってしまいます。 ブスやブサイク設定に無理がある場合はガキっぽい (子供っぽい) にするとか コミュ障 の 陰キャ にするとか、すぐに痩せるのを前提に太ったように描くとか、相手側に異性恐怖症や恋愛恐怖症があるなど、それに代わる拒否理由を設定しなければ話が成り立たないという部分はあります。
なお メガネ に対して ネガティブ な印象が比較的強かった時代には、「メガネを外したら美人・イケメンに」 みたいな描写がされるケースもそこそこありましたが、これはさすがに時代遅れ感が否めず、こんにちではほとんど見なくなりました。
一方、容姿ではなくその他の個性に関する部分で行うものもあります。 例えば イラスト を描いて 「下手だけど」「手抜きだけど」 と前置きをするとか、自分のことを 「バカだから」 とへりくだって表現するなどです。 こちらもおおむね なんちゃってブスとかブサイクと同じ構造を持っています。 どう考えても上手い上に全力で描いたことが明白な力作イラストで下手だ手抜きだと云われたり、高学歴な人にバカとか落ちこぼれ申告されても一般的には白けてしまうでしょう。
まぁこのあたりは、上を見たらきりがない部分もありますから、本人の理想が高すぎて、本心から自分のことを過小評価して劣等感に基づく本音だったりするケースもあります。 あまり相手のあざとさを疑いすぎても、逆にこちらの心の貧しさや卑屈さを感じて辛い部分はありますが。
現実世界にいると、何かと面倒くさいヤツ扱いされがち
こうしたものいいは、自意識過剰で ぶりっ子 とか構ってちゃんと呼ばれる女の子の会話などにも、まま見られるものでもあります。 「えーあたしなんて全然かわいくないしー」 とかいいつつおしゃれバッチリみたいな。 そのわざとらしさからも揶揄や批判、あるいは面倒くさい奴だとの扱いがされがちです。 これは謙遜などではなく 「そんなことないよ、かわいいよ」 という否定による誉め言葉を言外に要求しているのがあまりに明々白々だからでしょう。
こうした傾向は ネット の時代となってよりどぎつく可視化されがちです。 本当に自分がブスやブサイクだと思ってたら、よほど何らかの事情がない限り、わざわざ SNS に自撮りを自主的に 上げる わけがないからです。
こうした謙遜なのか 自虐 なのか 自虐風自慢 なのか自尊なのか、あるいはそれらの融合物なのかよくわからない表現は、とくに思春期の頃によく見られます。 これは幼児期の試し行動 (わざと怒られるような行為をして親や周囲の人間の愛情を試す) などと同じく、自分の価値や存在を認めてもらいたい、それを自分にもわかるように提示してもらいたいという心理の現れなのでしょう。 これは誰でもそれなりに身に覚えのある感覚でもあるので、わざわざケンカを売るように 「そうだね、確かにブスだね」 などと返す人はいません。
なお、一般的にはネガティブな見方がされがちな肥満や ハゲ、イモっぽさ に 萌える 人もいますし、時代を下ると 「ブサかわいい」 とか、好きやかわいいの多様性が広がります。 またルッキズムを避けようという時代の 雰囲気 も強まる中、なんちゃってブスとかブサイク、あるいはブスやブサイクといった容姿に対する罵倒表現やそれを笑う表現は、難しくなっているでしょう。 批判がでる、炎上 する恐れがある以前に、そもそもそれで笑えなくなっていますし。