「いいね!」 が欲しいの…欲しいのぉ〜 「承認欲求モンスター」
「承認欲求モンスター」 とは、人に認めてもらいたい、目立ちたいといった感情 (承認欲求) が高じるがあまり、奇抜・奇矯な言動を繰り返すような人を モンスター になぞらえた ネットスラング です。 承認欲求乞食、承認欲求オバケと呼ぶこともあります。
人は誰でも多かれ少なかれ自分のことを認めてもらいたい、褒められたい、評価されたいと望む気持ちを持っているものです。 本来は勉強や仕事、あるいは 趣味 の世界で優秀な成績や実績を上げたり、人助けや世の中の役に立つような善行を積むとか、人々を楽しませたり癒すような言葉や作品を創ることでそうした評価が得られるよう頑張るものでしょう。 しかしこれといった取り柄もないような人、いわゆる 「何ものでもないただの人」 は、ちょっとやそっとでは誰も振り向いてくれません。
そのうち一部の人は、「褒められたり評価されなくとも、少なくとも存在を認めて欲しい、注目して欲しい」 と目立つためになりふり構わない奇行に走ったりするでしょう。 それは時に迷惑行為や犯罪スレスレ、あるいは完全に犯罪のような言動にだって手を出すことがあるかもしれません。 「承認欲求モンスター」 は、そうした承認への欲望から手の付けらない状態に至った人をかなり強く揶揄・侮蔑する呼び方となります。
中途半端に目立って、甘美なる承認の味を知ってしまうと危険
いくら奇行に走っても、ネット においてさほどの存在感や知名度がなければ、ちょっとした バズ や 炎上 が生じてもそのまま飽きられて消えてしまうでしょう。 一方で、それなりの才能や容姿、運に恵まれた人なら、少しずつ存在感を増し、例えば ツイッター やインスタグラム、ティックトックといった SNS で フォロワー が増える、何気ない ツイート や 投稿 にも数多くの 「いいね」 がつくなど、ちょっとした有名人のようなポジションに辿り着けることもあります。
この段階で満足していればよいのですが、何度かのバズや数多くのフォロワーがついて有名人扱いされるようなると、今度はそのポジションを失いたくないという強い危機感が生じるものなのでしょう。 「最近 いいねが減ってきた」「自分も似たような投稿を先にしているのに○○さんの方がいいねが多い」「自分より後に始めていいねやフォロワー数も少なかった○○さんに抜かれてしまった」「また○○さんが 万バズ してる」…。 こうなると、他人のバズった コメント や過去にバズった自分のコメントにその後のコメントの内容、ひいては本人の思考そのものもどんどん引っ張られるようになります。 承認欲求に憑りつかれた人が本格的なモンスターへと至り暴れまわるのはこのあたりからです。
その内容が他者への誹謗中傷や 差別表現、もっともらしい嘘・デマ、バイトテロなどに代表される奇行などだったら、その方向へと本人もほとんど意識しないままにひたすらエスカレートし、自分自身で言動の内容を制御できなくなり、自分に異を唱える人は敵だ アンチ だと決めつけて遠ざけるようになります。 「承認欲求モンスターいっちょあがり」 です。
なお一般にこうした願望や衝動は、小さな子供から思春期にかけて若者によく見られるものです。 親や先生、友人らに認めてもらいたい、褒めてもらいたい、それが無理なら怒られるようなイタズラをしてでも振り向いて欲しいと願うような心理状態です。 これらの発端は個人の資質もさることながら、家庭や生育環境のあれこれによって生じる自己肯定感の低さが影響している部分も多く、粗暴・不良行為に及んだり、そこまでいかなくても何かと斜に構えて 中二病 を発症したりは誰でも少しくらいは身に覚えのあることでしょう。 理解や共感を示したり、同情すべき部分もあります。
承認欲求モンスターのありがちな行動
承認欲求モンスターによくある行動パターンとしては、
・他人のバズった投稿への便乗を目的とした リプライ
・他人の炎上に首を突っ込む (炎上コバンザメ)
・いちいち世の中の意見とは異なるおかしな発言をする (逆張り)
・大げさで過剰な表現の多用 (最上級表現) とそのエスカレート
・嘘や実話風の作り話 (実話風創作・嘘松・捏造) の継続的な投稿・連投
・やたらと 主語を大きく した極論で人の神経を逆なでするような攻撃的な発言を繰り返す
・他人の投稿のパクリや コンテンツ乗っ取り
・意識的あるいは無意識・思い込みによる起源主張、自身のアイデアが盗まれたとの冤罪吹っ掛け
・著名人などの アカウント にケンカや論争を吹っ掛ける
・目立ったり 映え するための、モラルに反するような無理な写真・動画撮影と投稿
・社会的に批判されがちな物事への度を越した誹謗中傷・人格攻撃・名誉棄損 (正義中毒)
・アカウント閉鎖や 引退 を仄めかす (引退詐欺・やめるやめる詐欺・なんちゃって引退)
などがあります。
こうなるとただの 炎上商法 と区別もつかず、やたらと トラブル や争いを引き起こすだけの迷惑な人、放火魔 みたいなものでしょう。 このような言動で人がどれだけ集まっても類は友を呼ぶでろくな人間が集まらず、自分自身にも極論や暴論、誹謗中傷や クソリプ が次々に投げつけられます。 本人はいっぱしの インフルエンサー やネット論客のつもりでも、周囲はネットのおもちゃや珍獣程度に思っているだけです。 あるタイミングでそれに気づいて、さらにメンタルが削られまくることとなります。
適度な承認欲求はモチベーションにつながるものの…
承認欲求もほどほどのものであれば、何かに対して努力したり頑張るためのモチベーションにもなるのでしょう。 しかし目立ったり 「いいね」 を貰うこと、バズること自体が目標となってしまっては、逆効果になってしまうものなのでしょう。 あえて道徳の教科書的に云えば、自分を高めるための欲求はいいけれど、他人を落とすことで満たされる欲求はよくないとか、目的と手段を間違えるなとか、何事もバランスが大切といったことになりましょうか。
SNS などで多数のフォロワーを持つネット著名人をインフルエンサーなどと呼びますが、自らの専門分野で何らかの実績なり評価すべき言動によって注目を集めてそのポジションに至った人が、この 病 に罹ってそれまでは絶対にしなかったような極論を嬉々として 書き込んだ り、流行っているからとよく知りもしない分野の話題にいっちょ噛みしまくって見当違いの暴言を吐いて自爆を繰り返すようになるのは、外から見ていると滑稽に見えつつ切なくも見え、何とも云えない気分になることもあります。
まだ精神的に未熟で自己肯定感も低い若者やいわゆる弱者が行うならまだしも、すでに高い社会的地位や経済的豊かさを築き、第三者から尊敬を集めて十分に満たされているように思える人ですら容易に承認欲求モンスター化するのを見ると、個人差はあるにせよ人間にとっていかにこの欲求が根源的で魅力的で抗いがたいものであるのかが感じられます。
ネット時代になって可視化され増幅もされているでしょうが、ある意味では社会的動物である人間の避けがたい性なのでしょう。 それを理解した上で、大人として自分のそれを適度にコントロールすべき知恵や技術が必要なのでしょうね。 どうせ避けられないものならば、自分や周囲の人間が幸せになる方向へと使いたいものです。 その場合、キモイ とか死ねとか消えろといった攻撃的な言葉は必要ないでしょう。