ファンの弱みを握って金品を要求…「〇〇を人質に取る」
「人質」 あるいは 「〇〇を人質に取る」 とは、マンガ や アニメ、ゲーム など特定タイトルの コンテンツ が 商業的 なマルチ展開をする中で、元タイトルの人気や知名度に乗っかっただけの極めて出来の悪いプロダクトに対して行う批判や罵倒の言い回しです。
例えば 「ABC」 というアニメタイトルがあったとして、それがゲーム化されひどい品質の クソゲー だった時には、「ABCを人質にしている」 といった言い方の批判や罵倒となります。 熱心な ファン であれば、それが好きなアニメの 二次作品 である以上はクソゲーだとしても完全に無視するのは難しく、使いたくもないお金や時間を嫌々ながらもそのクソゲーにつぎ込まざるを得なくなるでしょう。 これではまるで大切な人が誘拐犯に人質として取られ、見放すこともできずに身代金として金品を奪われるかのような状況です。
使い方としては 「好きなアニメ (あるいは キャラ) を人質に取られてるから仕方なくゲームもしているが、そうでなければこんなクソゲー絶対にやらない」「セールスランキング (セルラン) は好調かも知れないが、それは〇〇を人質に取っているからであって、このゲームの面白さが評価されているわけじゃない、クソ 運営 は勘違いするなよ」 といった感じになります。
とくにそのゲームのクソさが単につまらない・面白くないといった レベル ではなく、例えば運営が 無能 で バグ が大量にある、難易度 が理不尽なくらい高く極悪鬼畜仕様になっている、あるいは 課金 要素だらけの金儲け第一主義で原作への リスペクト や 愛 が感じられない内容ですと、作品それ自体だけでなく運営側の人格否定も含め、「人質商法」 だと批判のボルテージもどんどん高まります。
ゲーム内容の批判だけとせず 「人質」 などといった言い回しをするのは、こうしたファンのやるせない気分を反映していると同時に、ゲームの 元ネタ となったアニメやキャラには何の罪もない、むしろ被害者であって、そこに対しては一切の責任は追及しないし、したくないというファンならではの複雑な心境もあるのでしょう。
「原作レイプ」 に加担したくはないが…
こうした 「元作品に乗っかっただけの安易で低品質な二次プロダクト」「ネームバリュー詐欺」 を批判する場合には、原作レイプ といった言い回しをする場合もあります。 この場合、原作レイプとまで酷評される作品をファンが見たり購入することは 「結果的に売り上げに貢献している点で、原作レイプに加担している」 との誹りを受ける場合もあるので、その時も 「〇〇を人質に取られてる以上仕方ないじゃないか」 との悲痛な言い回しが使われる場合があります。
なおここではアニメからゲームへの二次展開のケースで説明しましたが、ゲームからアニメになったり、ラノベ からマンガやアニメになったり、あるいはファンの足元を見たぼったくり価格の 限定 グッズ販売が行われるなどのケースでも当然使われる言葉です。 そもそもが おたく や 同人 などの世界にかかわらず、人質 (人を質に取る、取られる) という言葉自体が、こうした使い方をする言葉ですし。
ただしゲーム (とくにネトゲやソシャゲ) については、プレイヤー による 攻略 のための情報交換や定期的な イベント の開催、ランキングに関する話などもあり、ネット の世界では継続的に話題になりやすいため、いきおい 「人質に取られた」 という ネガティブ なイメージが長く続いて強められる傾向があります。
好きな実在タレントが、訳の分からないドラマや映画や舞台に起用されると
一方、アニメやゲームといった創作物のキャラと異なり、実在するアイドルや声優といったタレントが、ほぼ 爆死 が確定しているような訳の分からないドラマや映画、舞台に起用されて駄作の人質扱いされるケースもあります。 推し・担当 のタレントが単にキャストに選ばれて出演するだけならまだしも、それによりキャリアに汚点が残ったり、推しが プロモーション に駆り出されて駄作への意欲や絶賛 コメント をメディアで口にする姿を見るのは、なかなかに辛いものです。
とりわけそのドラマや映画や舞台の内容に偏った政治色や思想色があったり、制作や主催、協賛として宗教団体やそれに近いカルト的な団体、詐欺・マルチ商法などに関わる企業などが名を連ねていたりすると、「そんな連中の片棒を担ぐのか」「まさか 信者 や関係者なのか?」「そこまでしてお金が欲しいのか」 といったタレント個人への不信感や疑念すら生じてしまいます。 この辺りは、おかしな企業の広告塔やCMのイメージキャラとして選ばれてしまった場合も同様でしょう。
こうなると根強い ファンのジレンマ も生じて、そのドラマや映画、舞台、CMなどが終わった後もすっきりとしなかったりします。 その結果、以前のように心から応援しにくい 雰囲気 となり、ファンを続けている限り、大小さまざまな心理的ストレスが継続して続くこともあります。