ピンチで頼もしい一言…何でもありの 「こんなこともあろうかと」
「こんなこともあろうかと」 とは、絶体絶命のピンチ、迫りくる危険、困難、失敗などに追いつめられ切羽詰まった状況の時に、そのピンチを前提条件ごと根底から覆し、チャンスへと変える魔法の合言葉です。
どれほど切り抜けるのが困難な苦境にあっても、「こんなこともあろうかと」(こういう事態が起こることは事前に予想していた) と切り出せば、後出しジャンケン的にピンチを切り抜ける方法を取り出すことができます。 しかも多くの場合、すべてが終了した後に畳みかけるように使うことができます。
元ネタ は、一般的に広く 認知 されているのは アニメ、「宇宙戦艦ヤマト」(1974年10月6日〜1975年3月30日) の登場人物で、工場長兼技師長である真田志郎の、最終回第26話 「地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!」(1975年3月30日放映) でのセリフ (正確にはセリフのイメージ (後述します)、もしくは初代ウルトラマンのイデ隊員 (こちらも後述します) からだとなっていて、同 キャラ の決め台詞としても認知されています。
あのヤマト最終回 「空間磁力メッキ」 では 「こんなこともあろうかと」 と言ってない?
初代ヤマト最終話では、戦いと長い旅を終え地球への帰投を目前に、死んだと思っていた敵、ガミラスの総統デスラーが、まさかの復活をし、復讐の鬼となって登場します。 ヤマトへ乗り移っての斬り込み攻撃を行った後、いったん離脱。 その後乗艦するデスラー艦が放った 「デスラー砲」(ヤマトの持つ波動砲と同じ威力がある) がヤマトに迫り、「エネルギーあと一万キロ!」「避けきれない!」 これで終わりだ、もう駄目だ…となったシーンとなります。
その際、真田がとっさに手に握ったスイッチを押すと、ヤマトの艦体はみるみる鏡のように反射するメッキコーディングで覆われ、命中したデスラー砲の光線を跳ね返します (そのまま光線は相手に戻り、デスラー艦は大爆発)。 ピンチを切り抜けたものの状況がわからず 「いったいどうして…」 と驚くヤマト航海班長、島大介に対し真田は、
「冥王星で見たガミラスの反射衛星砲にヒントを得て、密かに 開発 しておいた空間磁力メッキが役に立ったよ。 さあ、機関室の補修作業も完了だ、島、ピッチをあげて地球へまっしぐらだ!」
と状況の説明と地球への帰還を促します。
このシーンは 「ご都合主義じゃないか」 という見方もできますが、ヤマト ファン やヤマト関連の 同人 の活動を行っている人たちなどは、親しみや愛情をこめて繰り返し ネタ として触れていて、名場面や名シーン、名セリフがちりばめられた 「宇宙戦艦ヤマト」 の中でも、突出した印象や知名度を持つシーン、セリフのひとつとなっています。
ただし、前述のセリフを見ればわかるように、実際のセリフには 「こんなこともあろうかと」 というくだりはありません。 本放送終了後、再放送によって人気が爆発し、関連ムックやマンガなども多数刊行されましたが、ヤマト大ファンの 筆者 の記憶では、直接このセリフに触れたもの、あるいはこの言葉がこれほど広まるきっかけとなったような初代ヤマトに関する作品は、ちょっと見当たりません。
1977年 劇場版ヤマトの大ヒットと、1978年 続編のテレビシリーズ、ヤマト2
一方、人気を受けてその後にパート2となる 「宇宙戦艦ヤマト2」(1978年10月14日〜1979年4月7日) が日本テレビ系列で放映を開始。 その第10話 「危機突破!吠えろ波動砲」(1978年12月16日放映) において、敵の白色彗星帝国・ゴーランド艦隊の破滅ミサイルに狙われた上に、流星群によりエネルギーを吸い取られ波動砲が発射できないという、ヤマト大ピンチのシーンがあります。
一旦は波動砲発射を口にしようとしたものの、エネルギー不足でそれができないでいる艦長代理の古代進に、真田は 「艦長代理、命令を途中でやめるやつがあるか!」 と発射を促し、古代が意を決すると、「よしきた」「説明は後で」 と云いつつ謎のスイッチを押し、得意の機転で波動砲発射を無事に実現、敵を撃滅させます。 逆転 大勝利 となったものの、事情がわからず 「しかし…どうして減少していたエネルギーが…」「あれがなかったらヤマトは…」 と驚く島や古代に、真田が再び、
「ハッハッハッハ 前の旅の経験が活きたんだ。 たぶん、こんな事もあろうと思って、アステロイドリングにエネルギーの吸収装置をセットしておいたんだ。 あれは、盾のように相手のミサイル攻撃を避けながら、エネルギーを吸い取った隕石から、ヤマトの中へ逆にエネルギーを移し込んでいたんだ」
と事情を説明するセリフがあります。
古代が 「ありがとう、真田さん」 と感謝すると、真田は 「礼を言うなら、イスカンダルへの旅にいってくれ」 と微笑みながら返答しますが (かっこよすぎるだろ…)、後にこれが印象深い 「空間磁力メッキ」 エピソードの物とごっちゃになったとの説があります。 ただしこちらも、「こんなこともあろうかと」 とは微妙に違う云いまわしですし、「空間磁力メッキ」 放映の時と3年半もの開きがあります。
なぜか青野武さんの声で脳内再生される 「こんなこともあろうかと、冥王星で見たガミラスの…」
初代ヤマトやパート2が放映された当時、まだ ビデオデッキ などは一般家庭に普及しておらず、多くは記憶で内容をなぞるか、せいぜいテープレコーダーで音声のみ記録するなんてのが、世の オタク のアニメの保存方法でした (筆者もやってました…)。 テープレコーダーならば映像は記録できないものの音声は録れますが、もちろんみんながみんな、そんな準備をしてテレビを見ていたわけではありません。
再放送により人気が爆発し、1977年8月6日に東映系で劇場公開された長編アニメ映画 「宇宙戦艦ヤマト」(制作/ オフィス・アカデミー/ 原作/ 西崎義展) は大ヒット。 その後、空前のヤマトブーム、アニメブーム、そして声優ブームが巻き起こりますが、その翌年に放映されたヤマト2のセリフが、他の真田さんの発明品や、技術者としての活躍 (アステロイドシップ計画やドリルミサイルの逆転) を語るファンらの文脈の中で、そのインパクトと共に一つの 「パターン」 として 共有 され、「実際にはないセリフ」 を生み出し広めたのかも知れません。
またそれらが 同人誌 などの 二次創作 の パロディ の中で強調され何度も繰り返され、定型句として定着をしていったかも知れませんね。 特撮番組の 「ウルトラマン」(1966年7月17日〜1967年4月9日) に登場する科学特捜隊の技術開発・発明担当のイデ隊員 (二瓶正也) の影響、もしくは混同などもありそうです (同じようなセリフを喋っていましたし、年代的にはヤマト世代とかなりかぶります)。 また度々の再放送により、時系列の混乱もあるのでしょう。
「こんなこともあろうかと」 が公式設定に…?
ちなみにずっと時代を下って1999年に発売された劇場版の DVD の広告では、真田さんが 「こんなこともあろうかと、このDVDを用意した」 と語るシーンがあり、いわゆる 「公式 の 設定」 のような形になっているのは面白い点です。
また他のアニメや マンガ の作品などでも、科学者や開発者などが登場しピンチが訪れると、決まって 「こんなこともあろうかと」 と喋った後に新兵器や秘密兵器を取り出し逆転するような演出もあらわれるようになり (真田さんに対するオマージュとしては、「地球防衛少女イコちゃん」(1987年) のLTDT隊員、ニイツ (イデ隊員の影響とも) や、「機動戦艦ナデシコ」(1996年) の整備班班長、ウリバタケ・セイヤ などがあり、これらを 「こんなこともあろうかと」 の直接の発端とする意見もあります)、「アニメ界における科学者やメカニック責任者の お約束 のセリフ」 の一つとしても、認知されるに至っています。
こうした真田さんをオマージュする作品が、「こんなこともあろうかと」 というセリフをより一層強く認知させ、ヤマトとは無関係なところでも真田さんの 「伝説化」 に、強い作用をもたらせたのは間違いないところでしょう。 またヤマトは権利関係のゴタゴタで再放送やLD、DVDなどのメディア化がしばらく行えないブランクがあり、「現物を見ないまま、イメージがどんどん膨らむ」 という状況もあったのかも知れません。
こういった 「実は真田さんは 「こんなこともあろうかと」 というセリフを実際に喋ったことはない」 といったネタは、1980年代から90年代にかけて、同人の場や パソコン通信 などで、オタク同士のトリビア話、盛り上がるネタのポイントとして触れられたりもしていたんですが、筆者もパソ通時代に知人からそれを聞くまでは、すっかり冥王星のアレが元ネタだと思い込んでいましたし、ここらは不思議な感じです。
理系オタクの憧れ? 真田志郎
宇宙戦艦ヤマトというと、知人に当時からず〜っと継続して同人の活動している人がいたりして、もちろん筆者自身も第一次ブーム当時から大好きな作品なので、格別な思い入れがあります。 中でも最大のピンチを度々切り抜け、逆にチャンスに変えて一発大逆転をする真田志郎には、強い憧れを当時も今も感じています。
ギャグパロディの世界では、「服が青い」「困ったら道具を何でも出す」 という点で、「ドラえもん」 との相性が異常に良いのですがw、技術開発や研究系、エンジニアの仕事を行う 「おたく」 にとって、真田志郎はまさに理想の男性像と云えるでしょう (ちなみに理系 (STEM) オタクの2大 ヒーロー は、真田志郎とタイムボカンシリーズのボヤッキー、3大ヒーロー? とするなら、+イデ隊員でしょう…)。
筆者も 一生 に一度くらいは、自身が関わるプロジェクトの伸るか反るかの大ピンチに、仲間や同僚、上司らの前で胸を張っていつか口にしたいものです。 「こんなこともあろうかと」 と。
小惑星探査機 「はやぶさ」 の満身創痍の帰還で 「こんなこともあろうかと」
探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力 |
宇宙航空研究開発機構(JAXA) の 「はやぶさ帰還」 特設サイト |
ストリーミングサービスを利用した 宇宙航空研究開発機構(JAXA) や有志の自主 中継、ニコニコ生放送など、ネットでのみ中継され た 「はやぶさ」 帰還 |
擬人化、萌え美少女化などでも盛り上がった 「はやぶさ」、ニコニコ動画では特別生放送も |
2003年5月9日に打ち上げられ、地球から3億キロも離れた小惑星との間を往復し、約7年間にも及ぶ宇宙の旅を終え地球に帰還した、日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の小惑星探査機 「はやぶさ」。
人類史上初の小惑星への着陸・離陸、および地球への帰還を果たしたこの探査機の冒険行で、この 「こんなこともあろうかと」 がネタとして頻出。 JAXA サイトやメルマガ (ISASメールマガジン) で、開発者らが宇宙戦艦ヤマトネタにかねてから触れていたこともあり、主に ネット でこの言葉が大流行することになりました。
「はやぶさ」 は小惑星 「イトカワ」 への探査途中で、エンジンの故障や燃料漏れ、3ヵ月も通信が途絶えたり太陽電池の充電ができなくなるなど、度重なる致命的な トラブル や事故を起こしながらも、技術者の努力や機転でその都度復活。 2010年6月13日には、無事に地球へと戻ってくることに成功しました。
2010年6月、無事地球に帰還、イトカワの資料も回収
この様子を真田さんの活躍とダブらせる MAD動画 (探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力) などもその前後に登場し、大きな話題となりました。地球に到達した 「はやぶさ」 は大気圏に突入すると、自身が持ち帰ったイトカワの資料が入っているかも知れないカプセルと分離。 本体はそれを大切に庇うかのように寄り添いながら降下し、光り輝く流れ星となって夜空に消えました。 オーストラリア南部、ウーメラ砂漠に落下したカプセルは無事に回収され、日本で分析が始まりました。
当日はテレビ中継がされず、多くの 「はやぶさ」 ファンは国内外の関連サイト、動画サイトから流れる映像を、ネットを通じて静かに見守りました。 おかえり、「はやぶさ」 とねぎらいながら…。
なおカプセルからは地球外物質の可能性がある微粒子が数十個、同年10月5日に見つかっていたと報道され、11月16日には、分析の結果、微粒子のほぼ全てが 「イトカワ」 のものであることが確認されました。
月以遠の天体から資料を回収したのは史上初で、まさにイスカンダルから放射能除去装置、コスモクリーナーを持ち帰った宇宙戦艦ヤマトのごとく、限られた時間内にいくたの苦難、ピンチを乗り越え目的を完璧に果たした大快挙でした。 間に 「2位じゃダメなんでしょうか?」 で有名な民主党蓮舫議員による、科学技術振興予算の事業仕分けによる大幅カットがあったのも、ある意味ドラマチックな展開だったでしょう。
ともあれ、「はやぶさ」 が持ち帰った物質の、今後のさらなる分析調査により、太陽系の起源・歴史の究明や進化の解明などなど、各学術分野へのさらなる貢献がなされることを期待したいですね。
真田志郎役の声優、青野武さん旅立つ
2012年4月9日、真田志郎役の人気声優・ナレーターの 青野武さん (青二プロダクション) が亡くなられました。 76歳でした。 フジテレビ系列のアニメ 「ちびまる子ちゃん」 の友蔵おじいちゃん役を2010年に降板、その後は闘病生活を続けておられましたが、ついにその声が二度と聴けなくなると思うと寂しさもひとしおです。 他にも印象的な役をいくつも持っていた人気声優さんだけに、ネットでは訃報が流れると数多くのファンがその死を悼みました。
これから 「こんなこともあろうかと」 と云うのは、若い世代の義務なんでしょうね。 真田さんの印象が強いですが、ピッコロ大魔王や、とくにムライ中将は忘れられないです。 本当に長いこと、ありがとうございました。 いつも憧れでした。 泣けて泣けてしかたありません。 心より哀悼の意を捧げます。