仲間が一人減り二人減り… 「終電孤独」
「終電孤独」 とは、何らかの 趣味 をしたり、マンガ・アニメ・ゲーム といった エンタメ系 の コンテンツ、とくに ネトゲ (ネットワークゲーム) の ファン や プレイヤー として活動している人が、その ジャンル の衰退とともに 「自分が最後の一人になるのではないか」 と恐れたり、恐れた状態に近い状態に陥って寂しさを感じてしまうことを指す言葉です。
言葉の由来というか 元ネタ は、鉄道の最終列車、終電が終点に向かって進む中、自分以外の乗客が一人二人と次々に下車し、ついには自分が最後の一人、孤独な乗客となってしまうような寂しさや切なさになぞらえたものです。
あれほど 「ずっと一緒に頑張ろうね」 といってた友人が途中下車…
どんなコンテンツでも、あるいはそれを元にした 二次創作 などのジャンルでも、最初のうちは大勢のファンや同好の士がいるものです。 コンテンツに勢いがありますし、布教 によって次々に新しい人が入ってきて、人の入れ替わりはあるにせよ、界隈 には賑やかな活気があります。 新しい ネタ が 公式・非公式問わず次々に 供給・投下 され、追いつくのに苦労して嬉しい悲鳴を上げることもあるかもしれません。 また熱心な友人知人らと 萌え語り で盛り上がり、「いつまでも一緒に頑張ろう」 と励まし合うことだってあるでしょう。
しかし時が過ぎ新しいコンテンツが次々に出てくる中で、ジャンルは徐々に衰退し、一人抜け二人抜けで少しずつ人が減り寂しくなっていきます。 全盛期には 「このジャンル最高」「一生 このジャンルを続けます」 と大声で主張していた人ほど、あっさりと消え去ってしまったりもします。 しまいには、以前一緒に活動していた友人知人から 「え? まだそのジャンルにいるの?」 などと驚きの声さえ掛けられたり、離脱の際に 砂かけ移動 されてちょっと傷ついたりすることも。
ネトゲならみんな 引退 して過疎ってしまったり (全盛期は プレイヤー の数が多すぎて接続が不安定にすらなっていたのに!)、同人イベント なら ジャンルコード が消えてしまったり、アイドルのファンなら一緒にライブやコンサートといった 現場 にいく人がいなくなってしまったりと、寂しさという感情部分以外の不便さを感じることもあるかもしれません。
筆者 も 粘着質 というか、一つの作品に ハマる としばしば10年単位のハマり方をするので、仲間内ではいつもだいたい最後の1人くらいになりがちです。 ネトゲの場合はサ終 (サービス終了) まで居続けたりもします。 一緒に頑張ってきた仲間、自分をその世界に誘った友人が先にいなくなるのも寂しいものがありますが、自分だってそれ以外のジャンルでは途中下車する乗客の一人になることもあります。 趣味や好きなコンテンツ、ゲームなどは移ろうものなので、こればかりはどうしようもありません。
また趣味やジャンルどころか、年齢とともに友人らとの人間関係が疎遠になってしまうこともあります。 ある人は進学や就職、転職、あるいは 結婚 や出産育児などライフステージの変化によって、ある人は病気やその他の理由で、自分から離れていくかもしれません。 いつのまにやら おたく や 腐女子 を続けているのは自分だけみたいな状況になってしまうかも知れません。 これもまた人それぞれの人生があるので、どうしようもありません。
まぁ年を取るとおたく・腐女子的な体力を使う趣味を続けるのは難しくなりますから、自分がまだそこにいるのは情熱が薄れていない証拠だと ポジティブ に考えるしかない部分はあります。