はたから見ていると痛い場合も… 「なりきり」
「なりきり」 とは、自分以外の何かを演じることです。
同人 や おたく、腐女子 の 界隈 では、好きな作品の キャラクター の扮装をする コスプレ や、何かの余興 (同人イベント での寸劇や、カラオケ など) での 「キャラクターなりきり」 が思い浮かびます。
こういった特別な イベント での 「なりきり」 の他、日常生活で恒常的に行うものもあります。 それは例えば、TRPG の プレイヤー が自分のキャラクターになりきってプレイするとか、ネット の ゲーム (ネトゲ) でキャラを演じて遊ぶなどのほか、性別を偽って別人格になりきる (ネカマ)、別人格になりきって ホームページ (ウェブサイト) や ブログ などで日記をつけるなどもあります。
こうした行為は、マンガ や アニメ などの好きなキャラクターに対する 愛 を理由とする 二次創作 の延長のようなものもあれば、単なる目立ちたがりの奇行の一つだったり、邪気眼 的な、はたから見ていると 痛い だけのものもあります。 思い込みが激しいタイプですと、いつしか 「なりきり」 が自分自身の別人格として確立し、妄想 が現実感を伴って感じられるようになったり、TPOをわきまえない 「なりきり」 の連発で、周囲から浮いてしまう場合もあります。
ごく些細なものでは、一人称を意識して違うものにする、例えば 「ボクっ娘」 や 「俺っ娘」 なども、ある種の 「なりきり」 と呼べるかも知れません。
見ていて楽しい 「なりきり」 と迷惑な 「なりきり」
こういった 「なりきり」 は、大なり小なり 「気質」 として持っている人もいますし、TPOや程度をわきまえれば、周りも楽しめる場合も少なくありません。 例えば前述した TRPG や ネトゲでの 「なりきりプレイ」 などは、ゲームの世界に没頭して 世界観 に浸りたいタイプにとっては 感情移入 もしやすく楽しいものです。 遊びにおける 「ノリ が良い」 みたいな感じです。
例えば美少女の ロリ っぽい魔法使いキャラを操作しているのに、「ちょい 落ち、腹減ったからラーメンでも食うかな」 と チャット で話されると興ざめしてしまうと云うのもあるでしょう。 筆者 の周りにはなりきりプレイのプロのような人間が何人かいて、いつも楽しい時間を 共有 させて貰っているので、こうした行為はとても好意的に見えてしまいます。
一方で、ごく一部の 同人作家 がやっているような、自分の正体をことさらに偽っての やおい の SS の執筆と公開などは、はた迷惑だと 叩かれる ようなケースも多いようです。 つまり女性の腐女子が男性のフリをして、リアルな日記を装い創作の男性同性愛物語を描くようなケース (なりきり腐女子ブログ、なりきり腐ログ) です。
こうした創作物は、リアルな ゲイ の男性にとっては、「同性愛が誤解を受ける原因になる」「閉じた世界を表に出して騒ぐ場合もあって迷惑だ」 と強く批判されるケースも少なくないのですが、創作物として割り切ると非常に面白いものもあり、単にその作家の アンチ がことさらに男性の立場を騙って批判しているだけの場合もあります。
これは簡単にどちらが良い悪いとは云えないものだと思います。 極論すれば、ネット上の匿名もしくはそれに近い状態での表現には、現実と仮想の区別はつかず、また多かれ少なかれ 「なりきり」 や 「虚構」 は付いて回るものですし、人間には色々な欲求や色々なタイプがあるものです。 人は人、自分は自分として、おおらかに見たいものです。 もっともあまりにも尖った作品の場合は、たしなみとして 検索避け などはあっても良いかも知れませんが。
「なりきり」 から 「なりたい自分」 の実現へ
ネットが当たり前の時代となり、日々のコミュニケーションの多くをネットで行うようになると、各種サービスで自分をあらわす アバター や アイコン からイメージされる立ち居振る舞いと自分の言動が一体化するようなケースも生じるようになっています。 この場合、初めのうちは本人に 「なりきっている」「演じている」 という意識はあるのでしょうが、数か月、数年、場合によっては十年を超えるような長期になると、むしろ 「リアルな日常より自分らしさが出せる」「なりたい自分が実現できている」 というケースもあるでしょう。
一昔前までは、「ネットはしょせん仮想の世界であり、リアルな日常生活に比べたら取るに足らないものだ」 と素朴に信じられてきましたが、今ではどちらも大切だという意識を持つ人も増えているかもしれません。 人に迷惑をかけるような嘘や虚言ばかりの 「なりきり」 は困りますが、普段は外に出せない自分をいつでも出せる世界を誰でもが持てるようになったのは、素晴らしいことだと思います。