「ごめんなさい」 しなさい!「謝れてえらい」
「謝れてえらい」 とは、ネット とくに 動画サイト の配信や SNS などでちょっとしたミスや問題発言、何らかの トラブル を起こした人が謝罪した際に投げかけられる単なる合いの手、あるいはちょっとした称賛・免責のような声です。 文脈によっては揶揄や皮肉、侮蔑といった負の ニュアンス が極めて強く含まれることがありますが、いずれにせよ 「謝罪したこと」「謝れたこと」 を評価する ポジティブ な意見や コメント であることには変わりません。
この種の 「〇〇できてえらい」「ちゃんと〇〇できて偉い」 といった誉め言葉は、小さな子供に対して親や教師といった周囲の大人が行うことが多いものでしょう。 一人で歯磨きできた、着替えができた、朝起きられたといった生活習慣に関することが多く、褒めて伸ばす躾の基本みたいなところがあります。 当然、悪いことをしたのに謝るべき時に謝ることができない、あるいはそれが悪いことだとわからないようでは先々本人が苦労することになりますから、謝ったり反省したり自らの行為を省みる姿勢が見えたら、保護者として 「よくできました」 と褒めるのは当然と云えます。
ネットにおいては、似たような言い回しである 「生きてるだけでえらい」 といったフレーズを肯定的にせよ否定的にせよ流行語の面白さからアレンジして好意的に用いる文化がありますし (後述します)、単に自分を保護者扱い (結果として相手を子供扱い) して面白がったり、自分が悪いのに責任逃れや 他責・他罰 ばかりで謝れない有名人や組織がそれなりにいることへの漠然としたカウンターという部分があります。
配信者のちょっとした失敗へのお詫びに対する誉め言葉として
この言い回しが2020年前後からとくに広く流行したのは、おバカ・ドジっ子・ロリ な キャラ で売っているような 配信者 や Vtuber が配信中の些細な失敗や ガバ、遅刻や予定変更などを素直に謝った際に、「いいよいいよ」「気にするな」「ドンマイ」 みたいな意味で使われるようになったのが大きなきっかけのひとつでしょう。 リスナー に親目線・うちの子 呼びの保護者っぽい意識のファンが少なくないこともあり 「ごめん → 謝れてえらい」 の合いの手のような、ある種の ネットスラング として広がったのですね。
ネットでありがちな 「ぬるぽ → ガッ」「くしゃみ → 助かる」 みたいな定型・お約束 の ノリ ですが、寝坊するなどして 「配信遅れてごめ〜ん」 に 「気にしないでいいよ」「お疲れですか」 などと応えるよりは、「謝れてえらい」 の方が、一段ポジティブな感じにもなります。 これは朝の挨拶や朝活 (おはよう配信) の 告知 に対して、「おはよう」 に 「おはよう」 と返すのではなく、「早起きできてえらい」「今日も配信頑張っててえらい」 みたいに返す 推し への褒め文化に、「生きてるだけでえらい」 のアレンジが使いやすかったのでしょう。
ここから派生した類似の表現には、「反省できてえらい」「自分が悪いの分かっててえらい」「ちゃんと改められてえらい」 などがあります。 「〇〇できてえらい」 は汎用性が極めて高いものなので、本来は褒めるべきではないような行為に対しても テンプレート のように当てはめて使うケースも増えています。 例えば銃や武器を使って戦う FPS の 実況 配信などで、「ちゃんと敵の息の根をとめられてえらい」 みたいな感じです。
対義語には 「絶許」(絶対に許さない!絶対にだの略) や 「世間は許してくれませんよ」(秋葉原 で起こった メイド の傷害事件を報じるテレビニュースに登場した通行人のコメントに由来) などがあります。
謝ったら死ぬ病罹患者へのカウンターとして
こうした 「小さな子供に対してするような誉め言葉」 を、軽口や合いの手ではなくシリアスな話題で大の大人に対して行うのはかなりの侮辱でしょう。 相手をものの道理の分からない幼児や赤ん坊扱いして 「〇〇できまちたね〜」「おーよちよち、そうでちゅねー」 などと幼児語っぽい言い回しで 煽る のは、SNS や 掲示板 における バトル のきわめてありふれたパターンです。
とはいえ SNS や掲示板には、誹謗中傷や罵詈雑言、誤情報の 拡散、法的なものはもちろん社会的・倫理的に非難されても仕方がない言動をしながら頑なに自らの非を認めない人、謝れない人、すなわち 謝ったら死ぬ病 に罹患した幼児並みの ネット利用者 も多いため、それへの当てつけとしても使い勝手がよく、Vtuber 界隈 で広まった頃と同じかやや遅れて用いられるようになっています。
このような文字列というかネットスラングが流行するようでは日本大丈夫かという気もしないではありませんが、世の中には思ったより多くの謝れない大人はいますし、それは 筆者 を含め誰でもが持っているものでもあるし、一方で人間なんですから過ちや間違いもあるので、素直に謝れる癖はつけておきたいですね。 まぁ筆者のように恥の多い人生を歩んできたせいで 脊髄反射 気味に謝りすぎるのも、それはそれで反省や誠意を疑われそうではありますが…。
一方、この言い回しが広く使われる中で、冗談では済まない何らかの犯罪や深刻なトラブルへの謝罪に対し、純粋な賞賛にせよ悪意ある皮肉にせよ、当事者でもない人間がそれを評価し免責を与えるかのように使うことへの批判もあります。 言外に 「謝ったのだからこの話はもうおわりだ」 とのニュアンスも感じられますし、社会問題化したり誹謗中傷や犯罪行為に関する話題では、ファン や 信者 による庇おうとする想いが強く出過ぎて見えて、それ以外の人に反感を与える可能性があります。 よかれと思って行った言動がかえって状況を不利にする、贔屓の引き倒しというやつですね。
とくに芸能関係のセクハラ・パワハラ問題などで、ファンらが謝罪した加害者や芸能事務所に対して 「ちゃんと謝れて偉い」 などと使うのは被害内容を軽視し被害者の存在をないがしろにしているようにも見え、外部からはかなり強烈な忌避感を起こしやすいかもしれません。 その謝罪をどう評価するかを決めるのは被害者であって、ファンではないのですから。