色の種類だったり裸の代名詞だったり… 「肌色」
「肌色」 とは、もっぱら人間の皮膚の 色 のことです。 世界で見ると黄色・白色・黒色の3つが代表的な肌の色という扱いで、これらはおおむね人種などとも密接な関係を持っています。 日本においては歴史的にも現代においても日本人のほとんどがアジア系の黄色人種であることから、おおむね赤と黄色とを混ぜた、やや赤みがかった明るく透明感のあるオレンジやそれに近い色合いが肌色とされるケースが多いでしょう。
学校の図画教育で使われるクレヨンや色鉛筆、水彩絵の具の基本色セット販売の際は、人物画を描くことを前提に肌色と呼ばれる色が含まれており、この際の名前と色が、日本人の多くがこんにち持っている 「肌色」(はだいろ) という色感覚の土台というか根っこになっていると考えて良さそうです。
日本における 「肌色」 と海外の 「肌色」 表現
一方海外、とくに多民族国家などでは、肌色 (Skin color) といった言葉から連想される色合いにはかなりの幅があり、またそれはしばしば人種や先祖のルーツなどと深くつながっており、非常に センシティブ な扱いを受ける場合もあります。 特定の色を肌色と呼ぶことはほぼなく、肌の色をあらわす場合は、民族名やその色に近い色の言葉が個別にそのまま使われることが多いでしょう。
例えば日本人のそれなら、「アジアン (Asian)」 とか 「オリーブ (Olive)」「ミディアム (Medium)」、日本人をあらわす 「ジャパニーズ (Japanese)」 などです。 白人なら 「コケイジャン(Caucasian)」、黒人の場合は 「ダークスキン (dark skin)」 や 「アフリカンアメリカン (African American)」 あたりでしょうか。 日本語では黄色や白色・黒色と呼ばれることもありますが、色名そのままの 「Yellow」「White」「Black」 などは差別的呼称として考えられており、文脈次第ではあるものの、表立った場で使えるような言い回しだとは 認知 されていないでしょう。
また日本語では 「肌色」 と 「顔色」 とでは字義以外の意味がかなり違って認識されますが (顔色の場合、単に顔の肌の色という意味よりは、体調とか都合の良し悪しが顔に出るといった別の意味もあります)、Skin color ではあまり区別せず使う人もいますし、このあたりも 「日本人はだいたい同じ民族で同じような肌の色をしている」 という暗黙の前提のもとで使われる部分はあるのでしょう (外国語にも同じような言葉はありますが)。
なお近年になり日本においても、国際化や多様性尊重の考え方や 雰囲気 が強まり、「肌の色は人それぞれ」 との認識のもと、特定の色を 「肌色」 と呼ぶことを避けて言い換えるような傾向も強くなっています。 それ以前からも 画材 によっては 「はだいろ」 ではなく 「うすだいだい」 といった呼称を用いた商品はありましたが、とりわけ2000年代以降は、「ベージュ」 や 「ペールオレンジ」 といった名前への言い換えが進んでいます。
日本と海外での、「肌の色は変わるもの」 みたいな認識の差
日本を含めた黄色人種の場合、白人と見まごうくらい肌が真っ白な人もいれば浅黒い人もいますし、普段は色白だけれど、日焼け などによってしばらく真っ黒になることもあります。 極めて個人差が強いものの、白人は日焼けしてもさほど黒くなることはありませんし、なってもすぐにさめて元に戻りがちです。 黒人も真っ白な顔の人は極めて稀で、このあたりの色に関する感覚や言葉の選び方の違いは、日本とではかなり隔たったものがあるかも知れません。
例えば夏休みに日焼けした子供に 「真っ黒になったね」 と声をかけるとか、日焼けした ギャル を 「ガングロ」(顔が黒い) と呼ぶなどは、日本では言葉になんらの含みや人種差別的感情はありませんが、海外でそのままの意味で通じるかどうかはわかりません。 あらぬ誤解を招かないためにも、海外へ訪れた時とか外国人ばかりの場に 越境投稿 する場合は、言葉を選ぶ必要があるかもしれません。
なお現実社会、あるいは創作物の世界にあって、特定の肌の色に価値を感じたり、賞賛する意味の美称がごく最近まで広く使われていたのも日本の特徴と云えますが (例えば 「美白」 とか 「褐色」 とか)、このあたりも国際化が進む中で、様々な言い換えや言葉そのものの排除などが進む傾向があります。
美容分野であれほど持てはやされていた 「美白」 とか 「美白効果」 といった文言は、2000年代以降は徐々に控えるようになり、その後は大手メディアではおおむね使われなくなっています。 1990年代後半にテレビ番組 「未来ナース」 にレギュラー出演し、渋谷などのガングロギャルをお姫様のような真っ白肌に変身させるコーナーで話題となり、強烈なスポットライトと 驚きの白さ から 「美白の女王」 として一世を風靡した鈴木その子さん (2000年12月没) も、美白ではなく目指すべきはあくまで美肌で、無理なダイエットを控え健康的な美しさを目指す活動をしています。
日本人の白肌信仰は白人への憧れやコンプレックスの発露?
一方、日本人キャラ (とくに女性) を美しくかわいく描く中で、ことさらに色白に描くことを白人への憧れの発露だコンプレックスだとの意見が出ることもあります。 しかし日本でも浮世草子の時代から 「色の白いは七難隠す」 と云われるくらいですし、平安時代の絵巻物に描かれる美女もおおむね白肌です。 肌の色が白くなる洗顔法は平安の時代からありますし、さらに白粉で化粧までします。 白肌が高貴なイメージを持つのは、日を浴びることのない屋敷内で生活している貴族の象徴でもあり、日本のみならず中国や朝鮮など東アジア全体で古来から続く価値観です。 大陸国家のような異民族との接触が極めて少なかった日本ではその傾向が強く、別に民族の違いを示すものではありません。
マンガ や アニメ に描かれる美しい女性や男性がしばしば色白の肌 (あるいは 金髪 だったり碧眼だったり) に描かれやすい傾向があるのはその通りですが、これは前述したアジア的・日本的な白肌に対する美意識の強調や過剰表現、あるいは記憶色 (実物を見て感じる色ではなく、記憶を元に頭の中でイメージする色、過剰になりやすい) から生じているだけで、必ずしも欧米の白人を強くイメージしたものではありません。
欧米人や欧米人の代弁者がこうした珍説を唱えては論破されていますが、さすがに自意識過剰が過ぎるというか、勘違いが過ぎると思います。 逆に褐色や黒色、あるいは人間の肌の色ではないような色であっても、白以外である、有色であるとの理由でアフリカ系アメリカ人などは有色人種として自分たちを描いているように感じて好意的に受け取っているとの話もありますし、日本のマンガやアニメが国際的に評価される中、「誰もが自分の分身を日本作品に見出せる」 多様性に目を向けた方が有意義な感じがします。
徹底して日焼けを防ぎ真っ白な肌を維持している女性がいる一方で、日焼けサロンで真っ黒に焼く人もいる。 学校や職場によっては過度の日焼けは避けるべきだとする場合もありますが、基本的に個人が好きな肌の色で生活できるのが日本なのであり、そこに人種的なあれこれなどほとんど存在しません (そういうことを気にする人が一部いるのは否定しませんが)。
創作物における 「肌色」 の俗語表現
創作物、なかでもアニメや ゲーム、あるいは 同人 の世界では、肌色は エロ とか 18禁 の代名詞的な扱いをしばしばされます。 例えば 肌色注意 なら 「裸があるので見るなら自己責任で」 になりますし、肌色担当・肌色要員 と云えば裸になったりエロを担当する キャラ を指し、露出度の高い服を 肌色面積 が高いと表現したりします。
当然のごとくエロが中心の 同人誌 などは肌色本と呼んだりもしますが、ちょっとひねったものでは、印刷 の際に通常の色インキではなく、特殊な蛍光色 (蛍光ピンク) と差し替えたり混ぜると肌色が美しく鮮やかに出ることから、裸の多い同人誌を 蛍ピ本 (蛍光ピンク本) と呼ぶこともあります。