理想のダーリンか、ありがちなダーリンか 「スパダリ」
「スーパーダーリン」(スパダリ/ Super Darling) とは、もっぱら女性向け作品に登場する非の打ち所がない パーフェクト なダーリン、あるいはその人物が好きな人、パートナーなどが、最大限の称賛表現として行う呼び方のことです。 容姿端麗な美男子・イケメン で、身長も高く体格も細すぎず筋肉質すぎず、また家柄や学歴や経歴も立派で高収入、しばしば都会の一等地に建つ高層マンションやタワーマンションに住み、無限の包容力とやさしさ、周囲への配慮、理解力や社交力を持つ憧れの存在となります。
男女の恋愛を扱った作品では 定番 の キャラクター、古い言葉でいえば 「白馬に乗った王子様」 といった ニュアンス の言葉ですが、男性同士の カップリング で描かれる やおい・BL などでも 鉄板 となるキャラで、言葉自体も BL から生じて使われるようになったとの理解がされるでしょう。 「理想的な男性」 というよりは 「理想的なパートナー」 であり、カップリングの一方に位置することでその真価を最大出力で発揮する 属性 となります。 方向性となる 受け・攻め はどちらのパターンもあり、例えば攻めの場合は 「スパダリ攻め」 みたいな呼び方をします。
年齢的にはパートナーと同じか少し上くらいの大人っぽい男性のケースが多いのですが、本人の スペック の高い低いよりもパートナーとの関係性が重視されますから、腐女子 的な作品や文化が大きく広がり細分化もされる中、年下だったり貧乏だったり意外な欠点もあったりと、完全無欠のダーリンというイメージからはやや離れるようなキャラも時代を経るにつれ増えている印象があります。 また創作物のキャラではなく、現実世界で自身のパートナーを指して使うケースも増え、家事や育児、日々の生活のあれこれなど、時代性を帯びた長所が付加されることもあります。
スパダリ要素のないキャラをスパダリ化
スパダリとされるキャラは、そのまんまの状態で既にスパダリの場合もあれば、第三者の見方や描き方でのみスパダリとして扱われる場合もあります。 例えば マンガ や アニメ、ゲーム といった既存の コンテンツ や実在アイドル・芸能人や実写ドラマ (ナマモノ・半ナマ) の ファン が描く 二次創作 などで、オリジナル のキャラクターを極端に美化して描くことを 「スパダリ化」 と呼ぶこともあります。
これはこれで、ワイルドだったり野卑だったりおっちょこちょいな部分が魅力のキャラに対する キャラ崩壊・解釈違い 案件 にもなりそうですが、あばたもえくぼと云うように、意図的に美化しようとしなくても好きなキャラは勝手に美化されて見えるしそう描きたくもなるので、ことさら批判するのも野暮と云う部分はあります。 悪意が見える 下げ描写 に比べると毒気もありませんし。 ただし原作では犬が苦手という 設定 のキャラが、人格美化のために何の躊躇や葛藤もなく捨てられた子犬を抱き上げて可愛がったみたいな描写なら違和感はありますが。
「ダメンズ」「俺様」「モラ男」…スパダリの対になったり合成されたり
スパダリの対の 概念 として、性別が男性ではなく女性だったり、受け側だったり母性があったり女性的な役割を担う男性キャラを 「スーパーハニー」(スパハニ) と呼びます。 一方、同じ男性ながらスペックが低かったり性格や倫理観に問題があってスパダリの対極に位置するような男性に「ダメンズ」(ダメなメンズ) や 「俺様」(独善的でわがままな男性)、「モラ男」(モラルハラスメントをする男性) などもあります。 これらは 趣味 嗜好の多様化の中、様々なパターンが存在し、また作品の流れの中で当初はダメンズやモラ男だったのが、パートナーとの関係性の中で成長して押しも押されもせぬスパダリになることもあって、判断は微妙です。
そもそも独善的でわがままで時に強引で暴力的で価値観の押しつけもするようなキャラだけれど、その裏に繊細な部分を持つお金持ちの御曹司などは、少女漫画で女性の 主人公 と中心的に 絡む 男性キャラの お約束 の 属性 でもあるので (出会うきっかけは 食パンダッシュ や おもしれー女)、時代ごとの社会常識やジェンダー規範などと相互に関係しながら、様々な形となって描かれるものなのでしょう。
陳腐でありがちな設定だとして、スパダリに拒否反応を持つ人も
一方で、かつて 「モテ男」 の条件として掲げられがちだった 「高収入・高身長・高学歴」 のいわゆる 「3高」 といったスパダリにありがちな評価基準・価値観を陳腐だったり古臭く感じたり、あまりに現実離れしたお金持ち表現とか、そのくせ 作者 や 読者 はそれらと縁がない一般市民のために描写にリアリティがなく ツッコミどころ満載 だったりして、「またスパダリか」「それしかないのか」 といった テンプレ 的な表現への もにょり や反感を持つ人も少なくありません。
なお後年になり、本人のスペック度外視で、ひたすらパートナーに寄り添い、ひたすらパートナーにとって都合の良い存在を 「理解ある彼くん (理彼)」 と呼ぶこともあります。 こちらはかなり揶揄を込めた ネガティブ な表現で、もっぱらコミュニケーション能力や社会生活に不自由を感じている女性が、ありのままの自分の全てを肯定的に受け入れて献身的に 支えてくれる 存在を指す言葉となります。 これはある意味男性から見た 天使 (あるいは お母さん) と重なる部分がある概念でしょう。
自分と相手の性別が何であろうが、好きあったもの同士ならば献身的、ときに自己犠牲とも呼べるほど自分を理解してくれ、支えたり尽くしてくれる存在は 「理想的だ」「完璧だ」 と思えるものでしょう。 これはこれで実生活で相手にそれを望めば 「自分勝手」「お互い様の気持ちがない」「要求ばかりしている」「幼稚だ」 と批判されたりもするのでしょうが、創作物の中の話、あるいは自分の 脳内 や 妄想、夢 の中での話なら、誰にはばかる必要もありません。